日本SF史における角川文庫のポジション


 いまはお互いに読書量も落ちたけど、以前はSFファンの友人知人と会うたびに、ハヤカワ文庫や創元推理文庫(昔はSFも推理文庫として出ていた)の新刊の話をしていた。
 反面、角川文庫の新刊の話をした記憶はあまりない。SFファンとしては当然といえば当然なのだが。……まてよ、本棚を見れば、角川文庫がいっぱいあるぞ。
 そう、それほど意識はしていなかったが、角川文庫からはずいぶんと沢山の日本SFが出版されているのである。
 そのことに気づいた私は、SFの文庫出版における角川文庫の数量的検証を始めたのだった……。

【第1段階・1980年9月まで】
 文庫本は安価であり、日本中ほとんどの書店で入手することができる。
 日本のSF作家の第1世代と第2世代(この表現も懐かしいものがある)のほとんどは、角川文庫から本を出している。作家に作品発表の機会を与え、SFを普及させたことを考えれば、これほどの功労者はあるまい。
 作家ひとりひとりの文庫刊行点数のうち、角川文庫がどのくらいの割合を占めるかを計算してみた。検証のために使用した資料は、「SFゴタゴタ資料大全集」(奇想天外社・1980年)である。データ的には古いが、この時点で第1世代は多くの仕事を成し遂げている。比較のためにハヤカワ文庫の占める割合も併記してみた(以下、単にハヤカワと表記しているのはハヤカワ文庫を指す)。
 本稿は「刊行点数による露出度」を重視しているので、2度目、3度目といった複数回の再刊文庫も各1冊としてカウントしている。また、エッセイ集は含むが、アンソロジーは含まない。個人の著作物を優先した。作家名の次にくるのは出版された文庫本の総数である。

 星新一  49冊
 角川文庫  8冊 16.3%
 ハヤカワ 10冊 20.4%
 ハヤカワ文庫は外国の1コマ漫画を編纂した「進化した猿たち」3冊を含む。角川の比率は低いが、星は主に新潮社と仕事をしていたので特殊といえる。新潮文庫は22冊(68年の新潮小説文庫「マイ国家」と71年の新潮少年文庫の「だれも知らない国で」も含む)。他には講談社文庫も7冊と多かった。

 小松左京 69冊
 角川文庫 30冊 43.5%
 ハヤカワ 14冊 20.3%
 小松作品の角川文庫収録に際しては、角川春樹本人が直々に交渉したと、人から聞いたことがある(他の作家については知りません)。そのためなのか、角川文庫の比率はきわめて高い。代表作の多くが収録されている。

 筒井康隆 41冊
 角川文庫 13冊 32.5%
 ハヤカワ  6冊 15.0%
 他には新潮文庫10冊、講談社文庫4冊。ちなみに奇想天外社から出た「筒井康隆全漫画」も含んでいる。

 矢野徹  12冊
 角川文庫  9冊 75.0%
 ハヤカワ  3冊 25.0%

 光瀬龍  27冊
 角川文庫  4冊 14.8%
 ハヤカワ 14冊 51.9%
 光瀬龍は、第1世代の中ではハヤカワ率の高い作家。他は秋元文庫2冊、初期のソノラマ文庫7冊といったジュヴナイル作品。

 半村良  46冊
 角川文庫 21冊 45.7%
 ハヤカワ  6冊 13.0%
 角川文庫は半数近く。文春文庫で6冊、講談社文庫で7冊出している。

 眉村卓  46冊
 角川文庫 23冊 50.0%
 ハヤカワ 11冊 23.9%
 「ねらわれた学園」の映画化もあり、眉村卓もまた角川率が高い。

 平井和正 30冊
 角川文庫 18冊 60.0%
 ハヤカワ 12冊 40.0%
 平井和正は集中豪雨的にひとつの出版社から出すことが多い。この時点では角川とハヤカワだけで100%。

 豊田有恒 36冊
 角川文庫 18冊 50.0%
 ハヤカワ  9冊 25.0%

 福島正実 14冊
 角川文庫  6冊 42.9%
 ハヤカワ  3冊 21.4%

 石川喬司  2冊
 角川文庫  0冊
 ハヤカワ  2冊 100%

 石原藤夫  6冊
 角川文庫  0冊
 ハヤカワ  6冊 100%

 高斎正   1冊
 角川文庫  0冊
 ハヤカワ  1冊 100%
 この1冊は短編集「ムーン・バギー」。

 田中光二 17冊
 角川文庫 13冊 76.5%
 ハヤカワ  2冊 11.8%

 荒巻義雄  6冊
 角川文庫  3冊 50.0%
 ハヤカワ  1冊 16.7%

 山田正紀 12冊
 角川文庫  7冊 58.3%
 ハヤカワ  4冊 33.3%
 他の1冊は講談社文庫の「終末曲面」。

 かんべむさし 3冊
 角川文庫   0冊
 ハヤカワ   2冊 66.7%
 他の1冊は講談社文庫の「ポトラッチ戦史」。

 横田順彌  4冊
 角川文庫  0冊
 ハヤカワ  1冊 25.0%
 残りの3冊は集英社文庫(そのうち2冊はコバルト文庫)。

 さて集計してみよう。1980年8月までのデータである。
 全文庫本 420冊
 角川文庫 173冊 41.3%
 ハヤカワ 107冊 25.5%

 4割以上! なんと日本SFの文庫本の4割が角川から出ていたことになる。「多い」と感じるわけですな。
 こうして大量に流通されることによって、日本のSF作家は世間一般(読書人たち)に認知されるに至った(若い世代にとっては、ソノラマ文庫と集英社コバルト文庫の役割も見落とせない)。
 例外として角川文庫から本を出していないのは、広瀬正とかんべむさし。
 第1世代に属する広瀬正は、この時点では1冊の文庫本も出していない。1970年の処女長編「マイナス・ゼロ」以下7冊を上梓し、長編は3作連続直木賞候補となったが、1972年に48歳という若さで急逝している。死後、河出書房から全集が出たが、その文庫化については後述する。
 1974年、早川書房では「SFマガジン」創刊15周年を記念してSFコンテストを行った。その1位入選を果たした川田武の本を出したのはハヤカワではなく、角川文庫であった(ちなみに、このとき佳作となったのは田中文雄、選外優秀作はかんべむさしと山尾悠子)。
 当時の角川文庫は、式貴士の奇想SF、佐野洋のSFミステリー、梶山季之のコンピュータSFといった作品なども積極的に出していた。
 何故、角川文庫はこれほど多くのSF作品を出し続けたのだろうか。
 いまでこそ各社の新刊で売り場が山積みになっている文庫本だが、このような状況になったのは長い出版史においては意外と最近のことだ。1914年(大正3年)に新潮文庫(戦艦「比叡」竣工)、1927年に岩波文庫が誕生(空母「赤城」も竣工)し、しばらくは2社の文庫しかなかった。
 角川文庫が創刊されたのは、戦後の1950年で、その後は文庫戦争というものが勃発した。
 それまでの文庫というものは、岩波書店と新潮社のいわゆる古典・教養路線である。新勢力の角川のとった戦略は、エンターティメント路線だった。とくに若者向けの主力武器のひとつとして選択されたのがSFだったのだ。
 1971年に講談社文庫、73年に中公文庫、74年に文春文庫、77年に集英社文庫が登場。76年の時点では文庫の版元は30社、点数は40種類にもおよび、第3次文庫戦争と呼ばれる状況になっている。
 ここで角川書店の取った戦略が、一世を風靡した映画と文庫を連動させた大規模なメディア・ミックスであることはすでにお馴染みだろう。

【第2段階・SFブームの到来】
 ここからは「SF年鑑」を資料に、1980年から85年までを検証する。
 同年鑑は1981年が海外SF研究会より、82〜86年(データは85年末まで)は新時代社より刊行されたものである。「SFゴタゴタ資料大全集」と重複しないように、1980年度は9月以降の刊行本のみをカウントした。
 ここでSFシーンに新たに登場し、重要な役割を果たすのが徳間書店である。同社は1979年に雑誌「SFアドベンチャー」を、80年に徳間文庫を創刊している。
 前回同様、数字で検証していこう。

 星新一  23冊
 角川文庫  5冊 21.7%
 ハヤカワ  0冊
 徳間文庫  1冊  4.3%
 ショートショート千篇という偉業を達成した星だが、出版点数は半減している。そのほとんどは新潮文庫が占め(15冊、65.2%)、新勢力の徳間はエッセイ集1冊のみ。ハヤカワは0冊という結果になった。

 小松左京 40冊
 角川文庫  6冊 15.0%
 ハヤカワ  0冊
 徳間文庫 11冊 27.5%
 ほとんどは再刊物だが、徳間の意欲が感じられる。相対的に角川とハヤカワの比率は低下した。

 筒井康隆 17冊
 角川文庫  2冊 11.8%
 ハヤカワ  0冊
 徳間文庫  2冊 11.8%
 星新一同様、新潮文庫が半数を占める(8冊 47.1%)。「虚航船団」や筒井康隆全集の発刊もあり、当時は新潮社と専属契約をしていたからである。

 矢野徹  13冊
 角川文庫 12冊 92.3%
 ハヤカワ  1冊  8.3%
 徳間文庫  0冊

 光瀬龍  23冊
 角川文庫  9冊 39.1%
 ハヤカワ  4冊 17.4%
 徳間文庫  9冊 39.1%
 角川、徳間、ハヤカワでほとんどの本が出版されている。徳間で多く出しているのは「宮本武蔵」物。

 半村良  25冊
 角川文庫 15冊 60.0%
 ハヤカワ  0冊
 徳間文庫  0冊
 角川の比率が高いのは「太陽の世界」を「野生時代」で連載し、それを文庫化したため。

 眉村卓  42冊
 角川文庫 21冊 50.0%
 ハヤカワ  4冊  9.5%
 徳間文庫  3冊  7.1%
 この時期、角川文庫から秋元書房の新書への再刊が多いのが特徴。

 平井和正 44冊
 角川文庫 28冊 63.6%
 ハヤカワ  0冊
 徳間文庫 16冊 36.4%
 角川は「幻魔大戦」と「ウルフガイ」、徳間は「真幻魔大戦」(1冊だけ「新幻魔大戦」)のみでこれだけの量を出しているのは驚異的。シリーズ物をメインとする作家のはしりといえるかも。

 豊田有恒 21冊
 角川文庫  8冊 38.1%
 ハヤカワ  1冊  4.8%
 徳間文庫  7冊 33.3%
 集英社文庫からも4冊出している。

 福島正実  4冊
 いずれも死後の出版。文化出版局と旺文社の文庫から各2冊ずつである。

 石川喬司  6冊
 角川文庫  0冊
 ハヤカワ  0冊
 徳間文庫  3冊 50.0%
 徳間から出ている3冊は、いずれも競馬物。

 石原藤夫  9冊
 角川文庫  0冊
 ハヤカワ  5冊 55.6%
 徳間文庫  4冊 44.4%

 高斎正   7冊
 角川文庫  0冊
 ハヤカワ  0冊
 徳間文庫  6冊 85.7%

 田中光二 36冊
 角川文庫  9冊 25.0%
 ハヤカワ  0冊
 徳間文庫 12冊 33.3%
 他に講談社、光文社、集英社、文春文庫と多方面で本を上梓している点が特徴。SFよりも冒険物やポリティカル・フィクションが多い。

 荒巻義雄 15冊
 角川文庫  6冊 40.0%
 ハヤカワ  0冊
 徳間文庫  9冊 60.0%
 デビュー時は観念的なSFが多かったが、このころは伝奇SFに移行しつつあった。大ベストセラー「紺碧の艦隊」の登場は、この6年後となる。

 山田正紀 18冊
 角川文庫  3冊 16.7%
 ハヤカワ  0冊
 徳間文庫  4冊 22.2%
 他に講談社、集英社、文春文庫と多方面で本を上梓している点が特徴。犯罪小説も手がけるが、SFも多い。

 かんべむさし 11冊
 角川文庫    0冊
 ハヤカワ    0冊
 徳間文庫    5冊 45.5%

 横田順彌 14冊
 角川文庫  3冊 21.4%
 ハヤカワ  0冊
 徳間文庫  1冊  7.1%
 SFブームの最中にあっても、ハヤカワ、徳間の比率は意外と低い。集英社文庫が6冊と多い。

 広瀬正
 河出書房新社から出ていた広瀬正全集は、1982年になって集英社文庫から再刊された。それらは、次の集計にも当然加えている。

トータル(1980年9月〜1985年末)
 全文庫本 374冊
 角川文庫 127冊 34.0%
 ハヤカワ  15冊  4.0%
 徳間文庫  93冊 24.9%

 徳間文庫の登場により、角川文庫の比率は低下しているが、それでもトップのシェアは守っている。
 衝撃的なのは、ハヤカワ文庫の4%という比率。この時期になると、第1、第2世代の作家たちは一部を除いて、ほとんどがハヤカワから本を出していない。
 その穴を埋めたのは、第3世代と呼ばれる作家たちだ。1970年代の後半、「奇想天外」の新人賞から新井素子、谷甲州、再開された「ハヤカワSFコンテスト」から野阿梓、神林長平、大原まり子、火浦功、岬兄悟、水見稜たちが登場した(「リーダーズ・ストーリー」がデビューのきっかけとなった場合もある)。
 同時期に活動していた高千穂遙、栗本薫。初単行本が80〜82年に刊行された梶尾真治、川又千秋、森下一仁、堀晃。彼らを第2.5世代と記した文章をどこかで目にしたことがある。
 流れを知る上でも、同じ方法で第2.5世代と第3世代の1980〜85年をチェックしてみよう。

 高千穂遙  8冊
 角川文庫  1冊 12.5%
 ハヤカワ  1冊 12.5%
 徳間文庫  3冊 37.5%

 栗本薫  40冊
 角川文庫  7冊 17.5%
 ハヤカワ 28冊 70.0%
 徳間文庫  0冊
 ハヤカワはほとんどが「グインサーガ」。

 梶尾真治  3冊
 角川文庫  0冊
 ハヤカワ  2冊 66.7%
 徳間文庫  1冊 33.3%

 川又千秋 18冊
 角川文庫  7冊 38.9%
 ハヤカワ  2冊 11.1%
 徳間文庫  5冊 27.8%

 森下一仁  5冊
 角川文庫  0冊
 ハヤカワ  1冊 20.0%
 徳間文庫  1冊 20.0%
 他は集英社コバルト文庫が2冊、新潮文庫が1冊。

 堀晃    4冊
 角川文庫  0冊
 ハヤカワ  1冊 25.0%
 徳間文庫  1冊 25.0%
 他は集英社文庫と新潮文庫が各1冊。

 新井素子  9冊
 角川文庫  1冊 11.1%
 ハヤカワ  0冊
 徳間文庫  0冊
 集英社コバルト文庫から7冊。

 谷甲州   2冊
 角川文庫  0冊
 ハヤカワ  2冊  100%
 徳間文庫  0冊

 野阿梓   2冊
 角川文庫  0冊
 ハヤカワ  2冊  100%
 徳間文庫  0冊

 神林長平  6冊
 角川文庫  0冊
 ハヤカワ  5冊 83.3%
 徳間文庫  0冊
 80年代の後半、神林は年1冊ペースで光文社文庫の書き下ろしをするが、この時点ではまだ出ていない。担当編集の鈴木氏は、神林ファンだったようだ。

 大原まり子 4冊
 角川文庫  0冊
 ハヤカワ  3冊 75.0%
 徳間文庫  0冊

 火浦功   9冊
 角川文庫  1冊 11.1%
 ハヤカワ  6冊 66.7%
 徳間文庫  0冊

 岬兄悟  11冊
 角川文庫  2冊 18.2%
 ハヤカワ  3冊 27.3%
 徳間文庫  2冊 18.2%
 この時点では、岬は第3世代作家の中でもっとも出版点数の多い作家だった。

 水見稜   3冊
 角川文庫  0冊
 ハヤカワ  2冊 66.7%
 徳間文庫  0冊
 ハヤカワ文庫からは大原まり子、火浦功、水見稜の合作「地球物語」が出ている。それも各人のカウントに各1冊ずつとして入っている。

 第2.5世代と第3世代。1985年までの集計
 全文庫本 124冊
 角川文庫  19冊 15.3%
 ハヤカワ  58冊 46.7%
 徳間文庫  13冊 10.5%

 やはりハヤカワ率は高い。多くがハヤカワSFコンテストの出身者なのだから当然なのか。
 86年以降、「SFアドベンチャー」に発表された神林長平や大原まり子の作品が徳間文庫から上梓されているが、その点数は少ない。
「SFマガジン」に短篇を多数発表していた草上仁が初単行本を上梓するのは86年のこと。80年代は、飛浩隆や橋元淳一郎(デビュー当初は内藤淳一郎)も作品を発表していたが、2004年3月現在、未だに文庫の刊行はない(飛はJセレクション、橋元は科学ノンフィクションの著作があるが、本稿のテーマはあくまで文庫なので)。

【ブームの終焉とその後……】
 今回、資料として役立った「SF年鑑」は1986年版で打ち止めとなっている。
 定価2000円でスタートした「年鑑」は、6冊目の最終号で3600円までに急騰している。定価を上げても、同誌を存続させることはできなかった。
 SF雑誌が4誌もあった70年代末〜80年代初頭の繁栄はとうの昔に去り、ブームとしてのSFは終焉を迎えていた。雑誌は時代を映す鏡という言葉が真実ならば、そのとおりということだろう。
 ただ、単行本の発行点数そのものは低下していない。
 夢枕獏が、超伝奇小説と銘打たれたサイコダイバー・シリーズの第1弾「魔獣狩り」(淫楽編)を発表したのは1984年のこと。これを起点に超伝奇バイオレンスブームがスタートする。田中芳樹の「銀河英雄伝説」(82年〜)の大ヒットもあり、80年代はノベルス(新書判)が台頭した時代だった。もちろん、ノベルスは順次文庫化されていったので、文庫の点数も減ってはいない。
 メディアミックスのさらなる加速もあり、SF作家の分類もそれまでのように「第○世代」などと単純にくくれない状況になってくる(ジャンル外の作家もまた広義のSF作品を手がけ、境界線はぼやけていった)。
 そのような中、ハヤカワは第3世代のSF作家たちを中心に起用し続けた。マニア向け路線といってよいだろう。「ハヤカワSFコンテスト」そのものは1991年の第17回を最後に無くなった。
 徳間書店は「SFマガジン」以外では唯一残っていた「SFアドベンチャー」を93年に廃刊し、徳間文庫もSF色が薄くなっていく(オヤジ向けの小説ばかり。「銀河英雄伝説」の文庫化は90年代に入ってからのこと)。
 一方、角川文庫はべつの路線を選択した。
 もとより、若者向けエンターティメントを指向し、メディアミックスを推進していた角川書店である。アニメ(のちにゲームも加わる)のノベライゼーションは十八番だが、ここで新たに加わったのが、アニメ風、マンガ風の小説。この「風」というのがポイントである。
 ノベライゼーションではない、アニメ風のオリジナル作品。伝統的なジュヴナイルSFとは明らかに感覚の違う作品。現在、ヤングアダルト、ライトノベルスと呼ばれる作品である(個人的には、ライトノベルスという言葉は好きではない。当然「字アニメ」も)。
 角川書店が具体的にこの動きを始めたのは、1986年8月に行ったフェアで、田中芳樹の「アルスラーン戦記」などをスタート、翌87年8月に谷甲州の「ヴァレリアファイル」等をスタート。既成の若手SF作家に加え、アニメの脚本家なども登用し、まだこの辺りの作家のラインナップは過渡期といえる(というか、この新しい方針に対応できる書き手が少なかった)。
 ただはっきりしているのはビジュアル重視という方針で、表紙に作家名と同じくらいのサイズの文字でイラストレーター名が表記され、カラー口絵にはアニメのキャラ設定風のデザイン画が載せられたりした。
 これらのフェアは、以後の路線を探るための実験的意味があったと思われる。間を置かずして、翌88年11月、系列の富士見書房(現在は角川の一事業部)が「ドラゴンマガジン」とファンタジア文庫を創刊する。文庫の第1弾は、田中芳樹「灼熱の竜騎兵」、竹河聖「風の大陸」などだ。  イケると見た角川書店は、89年にスニーカー文庫を創刊して路線を確定する。以後は、富士見書房のファンタジア文庫、メディアワークスの電撃文庫、角川春樹事務所のハルキ文庫と、まさに角川の遺伝子を持った出版社の土壇場となる。
 老舗のソノラマ文庫もまた80〜90年代はこの流れの中に対応しようとしていた(肌触りは別物だが)。2004年3月現在、これまで述べたレーベル以外には、青心社文庫、エンターブレインのファミ通文庫、徳間書店のデュアル文庫、集英社のスーパーファンタジー文庫、スーパーダッシュ文庫、メディアファクトリーのMF文庫などがヤングアダルト市場に参入し、作品を世に送り出している。
(少女向けには老舗の集英社コバルト文庫、それに講談社ホワイトハート文庫があるが、これはまた別の文脈で語られるべきだろう)
(雑誌は難しい。ソノラマの「獅子王」「グリフォン」、早川の「ハヤカワHi!」、アスキーの「ログアウト」、いずれも短命だった)
 以上、角川文庫を中心に据えて、日本SFの流れを概観してきた。視点を変えたおかげで、新しく見えてきた部分も多々あったと思う。
 角川書店は、70年代もっとも多くのSF作家の作品を文庫に収録し、80年代の中期から現在にかけてヤングアダルト向け文庫市場を開拓し、発展させてきた。
 前者と後者に違和感を覚える方も多いだろうが、じつは基本的な姿勢は変わってはいない。比較的若い層に向けてのエンターティメントを揃えるという大きな戦略方針は一貫しているのである。ただ、時代と状況に応じて戦術を変えただけだ。
 SFやファンタジーはマニア向けと見られがちなジャンルで、確かにそういった面は事実あるのだが、それと同じくらい若い読者向けのエンターティメントという側面を有している。私もマニアのひとりではあるが、商業出版の持続というものを考えればそこはもっと直視すべきだろう。

 本稿は角川文庫を中心に見てきたが、実際には早川書房、徳間書店とのトライアングルの比率調査となった。この現在に至る変遷を眺めるだけでも、いろいろなことが思い浮かび、興味は尽きなかった。

補足
☆従来型のSFがヤングアダルトに単純にシフトしたといっているわけではない。マンガやアニメと同列に活字を読む層が拡大し、その中でSFやファンタジー作品を発表する(読む)機会が増えたと解釈すべきだ。
☆とはいうものの個人的には、大人も読めるテーマやドラマ性、あるいはマニアックなアイディアの注ぎ込まれたSFも続いて欲しいのである。
☆1990年代以降の分析には、また新たな統計データが必要になってくるだろう。確かにヤングアダルト市場は賑やかだが、新しい研究者の出現が望まれているのも確かだ。手はじめに、私は文庫に解説をつける提案をしているのだが……。
(敬称は省略させていただきました)

***本稿は、個人誌「On the Catwark」(2002年)に掲載した「私見 角川文庫から見た日本SF史の転換点」を改稿したものです


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